いもむし男−第2章


《1995年の遭遇》

1995年3月末、20歳の誕生日が過ぎたばかりの多加亜輝子(たかあきこ)はいつものように飯田橋から市ヶ谷へ向かって歩いていた。彼女は東京理科大学建築学科の3年生だ。父親からの仕送りで市ヶ谷に借りているワンルームマンションと、飯田橋の大学を歩いて往復するのが日課のような毎日を送っていた。兄弟はいない。父、多加杉作は甲州市役所に勤める公務員で、母は亜輝子が5歳の時に病で他界していたため、彼女は寡黙な父との無言劇のような家庭に育った。

一方、7月2日生まれの未野翔吾はその時19歳で、すでに自活していたが、諸般の事情によりたいへん切羽詰っていた。彼はその朝、思うところあって板橋本町環状7号線近くに在る古アパートから歩き始め、ちょうど飯田橋と市ヶ谷の間辺りへ辿り着いたところだった。 亜輝子は大学からマンションへ帰ろうとしていた。時刻は3時36分。春とはいえ、3時を過ぎるとまだ肌寒い。今日の夕飯は『ほうとう』でも作って暖まろうか、などと考えながら歩いていたが、ふと、慌しく行き交う人並みの中に1本の樹のように立ち尽くす青年が居るのに気付いた。

それはただの狭い歩道である。立ち止まって眺めるべきものなど何も無いはずだ。(あの人、何してるんだろう?)と彼女は怪訝に思ったが、なにぶん進行方向なのでそのまま近づくしかない。

青年に近づくにつれ、彼が白いボードのようなものを抱えているのが見えて来た。そこで、(どこかのお店の宣伝でもしているんだな)と判断した彼女は途端に関心が失せ、視線を横へ泳がしたまま前を通り過ぎようとした。

だがその時、視界の隅に何かチラリと引っ掛かるものを感じる。

「・・・猫?」

彼女は立ち止まり、そして青年の持っているものを見た。それはスケッチブックに描かれた、猫の絵だった。色は無い。黒いインクだけで、病的なほどに繊細な細い線で、1本1本の毛がクネクネと生きているように、毛の長い黒い子猫が描かれている。子猫はティーカップに入ってこちらを向いていたが、なぜか目には瞳が無かった。

「これ・・・あなたの絵?」と言いながら亜輝子は絵から目を上げ、初めて青年と向き合う。青年はいかにも飾り気の無い、ほとんど投げやりと言ってもいいような出で立ちだった。コットンのシャツはかろうじて白かったけれど、300時間も悲鳴を上げっ放しの『イカ』みたいに皺くちゃで、原生林のコケのような深緑色のジャケットは袖の縁と裾が擦り切れ、ボタンは一つ欠けている。ブルージーンズの藍色はかすかな記憶を留めるだけだったし、履き込んだデザートブーツと一緒にたった今最前線から帰還したばかりといったありさまだった。

が、青年の顔立ちには亜輝子の心の微妙な部分に触れるものがあった。とりわけその目は彼女を強く惹き付けた。瞳の色は濃く鮮明で、まるで何十億年もの間、この地球上の全てのイノチの営みを見守り続けて来たかのような深い慈愛と悲しみに満ちていた

「そう」と彼、未野翔吾は言い、眩しいものでも見るように数回、瞬きした。

「ここで、何してるの?」と亜輝子もつられて瞬きしながら訊いた。

「売ってる」と、彼は答えた。が、この言い方じゃなんだか麻薬の売人みたいだなと思い直したらしく、「この絵を」と付け加えた。

亜輝子はもう一度子猫の絵を眺め、「どうして、この子には瞳が無いの?」と訊いた。

「うん」と翔吾は頷き、自分が抱える絵を確認するように見てから、「描くべきじゃなかったから」と答えた。

「描かない方がいいと思ったわけね?」と、彼女は訊き直した。

「描いた方がいいと思ったけど、描くべきじゃなかったから、描かなかったんだ」と彼は答えた。

亜輝子は溜息をつき、翔吾の目を覗き込んで言った。「瞳を描かない絵は、自殺願望のサインなのよ、知ってる?」

彼女の明るい瞳にまっすぐ見据えられ、思わず顔を赤くしながら彼は首を左右に振った。

「あなた、自殺願望があるの?」

「無い・・・と思う」

「それならいいけど」亜輝子はショルダーバッグの口を開けて財布を取り出した。「カードは使える?」

「カード?」と、彼は首を傾げる。

「使えるわけないか・・・現金はあんまり持ってないんだけど、この子猫ちゃんはお幾らなのかしら?」

「え?」と、彼は驚いてやや素っ頓狂な声を出した。

「え?って、あなた、売ってるんでしょう?この子を」と、彼女は眉間に皺を寄せ、思わず声を荒らげる。

「ああ、はい、そう、すみません」彼は彼女の凄みに怯え、ぎこちない笑顔を作って答えた。「7,760円です」

「7,760円?」今度は亜輝子が素っ頓狂な声を出した。「何それ?いったい、どういう根拠でそういう半端な値段になるわけ?」

「ああ、それは・・・僕のアパートの家賃が7,500円で、ここから帰る電車賃が260円なんで、両方で7,760円になるわけです」

「ふーん」と言いながら、彼女は財布を覗き込んで小銭を探した。「確かに計算は合ってるけど・・・それにしても随分安いのね」

「ボロアパートだから」

「そうじゃなくて、子猫ちゃんが、よ」

亜輝子にそう言われ、翔吾は少し考え込んだ。しかし今さら値上げするわけにもいかない。亜輝子は財布の中の千円札と百円玉を数えていたが、遂に諦めて1万円札を引っ張り出した。「ダメ、足りない。これでお釣りいただける?」

翔吾はスケッチブックを一端閉じて小脇に挟み、ジーンズのポケットに両手を突っ込んでしばらくごそごそ探っていたが、彼の手が発掘したのは300円だけだった。亜輝子は掌に申し訳なさそうに並んだ3枚の百円玉と、彼の困った顔を交互に見比べた。

「300円?あなた、それだけしか持ってないの?本当に?なんで?」

「なんで、と言われても・・・話せば長いことながら・・・」

「もし、その絵が売れなかったら、たった300円で、明日からどうするつもりだったのよ?」

「うん」と翔吾は言いながら、ちょっと回りを見回して小声になった。「実は、東京理科大に行っている友達に金を借りに来たんだ」

「理科大に?理工学部?」

「いや、薬学部」

「薬学部はここには無いわよ」

「薬学部はここには無い?」

「千葉県野田市。300円じゃ行けないわ」

「うーむ」翔吾はスケッチブックを小脇に挟んだまま腕組みをして唸った。

「そのお友達が、薬学部は飯田橋に在るから来いって言ったの?」

「言った。そいつは金持ちの息子だから・・・おい、未野、金に困ったらいつでも俺が貸してやるぞ、金利は30パーセントでどうだ?って」

「ひどーい、そんなに取るなんて、サラ金並みじゃない。しかもキャンパスの場所は間違ってるし・・・その人、本当に薬学部に行ってるのかしら?何だか怪しいなぁ」

「わからないけど、本人は薬学部で毒薬について学ぶんだと言っていた。中学校の同級生なんだけどね、私立探偵を目指している」

(私立探偵?)亜輝子は思わず噴き出しそうになった。が、その前に彼女のお腹が大きな音を立てて空腹を訴えた。

「わかったわ、それじゃ」と、財布をバッグにしまいながら彼女は提案した。「とにかくこうしましょう。今から神楽坂のロック喫茶『Jin-Jin』に行って、一緒にゴハンを食べる。私が出すから心配しないでね。そこで1万円札でお釣りを貰って、それからあなたに子猫ちゃんのお代を払う、それでいい?」

翔吾は頷いた。彼女の提案を拒む理由は全く無かった。彼の胃袋が空っぽになってから3回目の夕暮れが迫っていたのだから。




《Jin-Jin》

ロック喫茶『Jin-Jin』は、神楽坂から細い路地に入った木造家屋の中に在る。いや、正確には「片岡陣乃介(かたおかじんのすけ)」という表札のある家の引き戸をガラガラと開け、靴を脱いで下駄箱にしまい、狭くて暗い廊下の突き当たりにある狭くて急な階段を昇って2階へ行き、左手にある最初の襖を開けて(間違って2番目の襖を開けると話好きなオバアチャンが居て、捉まると2時間ぐらい帰れなくなるので要注意)4畳半の和室に入り、そこにある押入れを開けて中の階段を下りる。階段はこの木造家屋の地下まで繋がっている。下まで着いたら目の前のギターのシールが張り付いた真っ赤な扉を押し開けると、そこが『Jin-Jin』なのだった。

「不思議だな」翔吾は地下の店に集う他の客を見回した。「どうして看板も出てないのに、みんなここに店が在るのがわかるんだろう?」

亜輝子は肩をすくめ、「みんなここにお店があるのを知ってるからよ」と言った。

「そうか」彼はそれ以上その件について考えるのを止めてメニューを開いた。

『Jin-Jin』はロック喫茶として知られていたが、場所が場所だけにロックバンドが来てミニライヴを開く、というようなことは無く、要するにBGMとしてオーナーがコレクションレコードを少し大きめの音で鳴らしっ放しにしている、という店だった。コレクションは1960年代から1980年代までのロックが中心で、総数は3千枚とも5千枚とも言われている。もちろん希少盤も揃っていたので、足しげく通うマニアも多かった。聴きたい曲をリクエストすることも出来る。

その日はまだ時間が早かったせいか、彼等以外に2組のカップルが居るだけで、店内は比較的ガランとしていた。右側のテーブルのカップルは二人とも黄色い髪をスダレのように顔面に下げ、左側のカップルは女が赤い髪を逆立てて男がスキンヘッドだった。今廻っているLPはレッド・ツェッペリンのフィジカルグラフティA面であり、彼等がやっと生まれた頃の音楽だ。

「遠慮はしないでね。遠慮したら怒るわよ」と亜輝子は微笑んだ。翔吾はスキンヘッドの男が食べている焼きウドンに心惹かれたが、結局亜輝子と同じものを注文した。厚切りベーコン添えのジャーマンポテト、ホワイトアスパラガスとスモークサーモンのサラダにフランスパンが少々。亜輝子は「そうだっ」と声を上げてもう一度ウェイターを呼び、「シュバルツカッツはある?」と訊いた。眉と小鼻と下唇に仁丹みたいなピアスを付けたウェイターは白目になって0.5秒ほど思案し、目玉を下に戻してから「あります」と答えた。

「シュ・・・なんて?何それ?」と翔吾は目を瞬かせた。

「ワインよ。黒猫っていう白ワイン」亜輝子は楽しそうだった。「焼きウドンも頼んでいいのよ。ワインに合うかは保障しないけれど」

「う・・・うん、じゃ、お言葉に甘えて焼きウドンも。でも、ワインまで頼んだら予算オーバーなんじゃない?」

「いいから、心配しないでって言ったでしょ?とにかく乾杯しましょ。私とあなたを出逢わせてくれた黒猫ちゃんに感謝を込めて」

「あ、待って、僕まだ未成年だった。お酒は20歳になってから・・・」

「いいからいいから、ハイ、カンパーイ!」

彼女の勢いに押されて翔吾はグラスに口を付け、そのままグイッと飲み干してしまった。

だが、彼の胃袋は3日間空っぽだったのである。ワインは干ばつに苦しむアフリカの大地にようやく降った恵みの雨のようにたちまち吸収され、瞬く間に彼の血液に溶け込んで体内を巡った。それは最終的には頭のてっぺんに集まり、そこからじわじわと大脳新皮質を麻痺させて行った。折りしも曲は『in My Time of Dying(俺が死ぬ時)』。ぐるぐる目が廻るのは空きっ腹に飲んだせいなのか曲のせいなのか、はたまた奇妙な店のせいか、それとも目の前の妙に人懐っこい綺麗な女の子のせいなのだろうか、と考えてみたが結論は出ない。そういえば、まだ、名前も知らなかった。

「ところで、いつも、そういう絵を売ってアパートの家賃を稼いでるの?」とホクホクになった男爵芋を食べながら亜輝子は訊ねた。

「いや・・・」翔吾は焼きウドンを割り箸にクルクル巻きつけていた。(いや、違う、これはフォークじゃないんだから)と思ったが、自分が何をしようとしているのか良くわからなくなっていた。手が勝手に動く。アルコールとはこのように恐ろしいものなのだ。

「売るためにこういう絵を描いたのは初めてで、売ろうとしたのも初めてで、売れたのも初めてで」と、彼は言いながら照れ笑いをした。火照った自分の顔がだらしなくニタニタ歪むのがわかる。しかし顔面の神経も筋肉も制御不能状態になっていて取り繕いようもなかった。やっと巻きつけたウドンを間違いなく口に運ぶのが精一杯なのだ。彼は上手くチームワークが取れなくなっている上顎と下顎をなんとか動かしてウドンを咀嚼し、ゴクリと飲み込むと、急に機関銃の連続掃射みたいな早口で説明しだした。

「いつもは普通のアルバイトやって家賃を払ってるんだけど今月の頭に働いてたコンビニで高校生の万引き見つけてそいつを捕まえようとしたら振り切って逃げたんで追いかけて飛び蹴り食らわしたらそいつは停めてあったバイクに顔ぶつけて鼻の骨と前歯を全部折っちゃったんだけど良く見たら彼はその店のオーナーの息子だったんだ。それで悪いのはそいつなのに僕はクビを宣告されたんで頭に来て基本的人権の侵害だってオーナーに文句言ったらお前みたいな貧乏人に人権なんかあるかって言いやがったんで掴み合いの喧嘩になって警察が来ちゃって馬鹿野郎なにやってんだお前ちょっとここで頭を冷やせと留置場にぶち込まれてお前は未成年だから保護者を呼ぶから電話番号を言えというんだけど絶対に言いたくないと抵抗したら5発ぐらい殴られてそれでも黙っていたら向こうも諦めて先々週やっと出して貰えたんだけど最後に僕に向かって物分りのいいお父さんみたいにこう言ったんだ、これに懲りたらもう万引きはするなよ」

翔吾はそこで一息入れ、亜輝子のグラスを掴んでグイッとワインを飲み干した。

「あ、ごめん、これ、君のだった」

「いいのよ。先を続けて」

「それで何だかんだで次のアルバイトを見つけられなくて、じたばたする内に家賃の支払日が来ちゃったんだ。だけど僕の所持金はあと300円しかないし金に換えられる物なんて何も持って無いし、さっき話した友達は金を貸してやると言ってたけど金利30パーセントだったし、運良く出会えるとも限らなかったし、実際出会えなかったわけだけど。で、考えた挙句に、駄目元で昨日この絵を描いて売ろうと決意したんだ。で、友達に会えなくてこの絵も売れなかったら明日アパートを出て環状7号線の下で新しい生活を始めるしかないな、と考えていた」

「大家さんは家賃の支払いを待ってはくれないの?」彼女はホワイトアスパラガスを端からスルスルと吸い込んで訊いた。

「待ってくれなくはない、1週間ぐらいなら・・・でも支払い遅延申請には手続きが必要なんだ」

「それって、難しい手続きなのかしら?」

「難しくはないけど・・・承服し難いことをやらねばならない」

「承服し難いこと?」亜輝子はボトルからワインを注ぐ。「どんなこと?」

翔吾は新たに満たされたグラスをさっと手に取ると、溶鉱炉にクズ鉄を投げ込むようにあっさり飲み干し、憮然とした口調で言った。

「大家さんの目の前で素っ裸になって『ぞうさん』を4番まで歌う。投降する兵隊みたいに両手を頭の後ろにあてがって、腰を左右に振りながら・・・『ぞうさん』の本当の歌詞は心温まるものだけど、歌わされるのは大家さんが作った変てこな替え歌なんだ。でも、問題は著作権の侵害にあるんじゃない」

「そうね」と状況を思い浮かべて首を振り、彼女もワインをグイッと飲んだ。「承服し難いわね」

二人は注文した料理を平らげたが、まだ足りなかったので『海賊パスタのトマト風味』を一皿追加した。仁丹みたいなピアスのウェイターは大きな八重歯を見せてニッと微笑み、「大盛りで?」と確認した。亜輝子が頷くと7分後には『海賊パスタのトマト風味大盛り』が豪快な湯気を立ててテーブルに運ばれ、ついでに2本目のシュバルツカッツがドンッと置かれた。

「あれ?ワインも頼んだかしら?」

「いいえ」と仁丹ピアスは白目になり、すぐに黒目に戻して言った。「しかし、まだ飲まれるのではないか、と」

亜輝子はハハハと笑い、「まぁいいや。じゃあ、キミ、えーと何だっけ?」と翔吾のグラスにワインを注ぐ。

「翔吾です。未野翔吾」

「そうだ、初めて名前を訊いたんだ。うっかりしてたわ。翔吾君ね。私は多加亜輝子、1975年3月14日山梨県生まれ、性別はオンナ、東京理科大学理工学部建築学科3年、好きな花はチューリップ、嫌いな食べ物はナス、特技は百面相。じゃ、翔吾君、こうなったら今日はとことん飲みましょう」

亜輝子はいかにも楽しそうにケラケラと笑い、パスタを小皿に取って翔吾の前に置いた。それから、急に真面目な顔になって訊いた。

「で、翔吾君は、画学生なの?」

翔吾は幾杯目かを飲み干そうとしていたが、途中で止めてグラスをテーブルに置き、わずかに口の端を曲げた。

「いや・・・残念ながら、そうじゃない」

「でも、絵を描いてる。とても上手だし・・・上手なんて言ったら失礼だけど」

「絵は、子供の頃から描いてるからね」彼は自分の両手に視線を落とした。酔いのせいか、普段より手が大きく見える。「こういう子猫の絵は初めて描いたけど・・・こういう、ティーカップに入ってるような可愛い絵じゃなくて、いつもは自画像とか、静物とか、そういう可愛くない絵を描いてるんだ。まだ勉強中だから色々なものを色々な表現で描いている。最近はだんだん抽象になって来たところ」

「ふーん」

「本当は美大に進みたかったんだけど、親父に、お前が絵描きになれるわけがない、だいたい絵描きなんてものは千人に一人も居れば多すぎるぐらいだ、お前までなる必要はない、もっと真っ当な職業を目指せって反対されて・・・」

「お父さんは何をしてらっしゃる方なの?」

「それが、画家なんだ」

「まぁ・・・」亜輝子は口を丸く開けたままの顔で固まっていた。驚いたような、呆れたような表情だ。

翔吾は肩をすくめて先を続けた。「もともと僕の親は放任主義なんだ。子供にあまり関心が無い。子供が望みもしないのにピアノや絵を習わせて芸大へ行かせる親が居るように、子供の夢をサポートする気なんてさらさら無いって親も居るんだ。親の夢まで背負わされるのと夢を無視されるのと、どっちを選ぶか?と訊かれたら、僕は無視される方がまだましだと思うけどね。結局は自分が頑張るしかないんだし・・・で、僕は親を当てにするのを止めて中学校の卒業と同時に家を出たんだ。何も国家試験に受かって医者や弁護士になろうってわけじゃない、画家になりたいだけなんだから、働きながら自分で勉強して行けばいいと、そう考えたんだ。ところが、これが甘かった」

亜輝子は丸く開けたままの口にパスタを押し込み、今度は目を丸くした。特技は百面相という自己紹介に偽りは無いようだった。

「と言っても、生活に追われて勉強出来ないとか、そういうんじゃないんだ。何て言ったらいいのかな・・・絵画の世界は、僕が考えていたより遙かに厄介な問題を抱えていたんだ。どういう問題かと言われても、とても一言じゃ説明出来ないけど。その問題について自分なりの結論を見つけるためには、もっと広範な、絵画以外の知識が必要なんだと気付いた。大学というのはそのために在ったんだ」

「そう?そうだったんだ」彼女はパスタをゴクリと飲み込んだ。

翔吾は自嘲気味な笑みを浮かべて再びグラスを手に取り、灯りに翳して色を見た(真夏の午後1時の太陽の色だ)。

「さっき話した友達が言っていた。人生を思い通りにするためには、大事なものが3つある、って。何だと思う?」




《翔吾、絵を描く》

「何かしら?人生を思い通りにするために大事なもの・・・夢と希望と愛かな?夢を描き、逆境にも希望を失わずに、愛と共に生きる、なーんて」

「それも正解だと思うけど、彼が言ったことは違う。大事なのは、気力と気合いと気迫、なんだそうだ」

「気力と気合いと気迫?」

「そう。気力は精神の体力で持続力や忍耐力を支えるもの。気合いは精神の瞬発力。この2つは自分で作り出すものだけれど、3つ目の気迫だけは他人が感じるものなんだ。本人が気迫を込めたつもりでも他人には何も感じられなかったり、反対にリラックスしていても気迫のある人も居る。そのための特別な修行をしたわけでもないのにね。何が違うのかはわからない。ただ、わかったことは・・・」

彼はグラスに口を付け、残りを飲み干して言った。「わかったことは、どうやら僕にはその気迫が足りないってことだ」

「そう?」亜輝子もワインを飲んだ。そして(でも、あなたは気迫の代わりになるものを持っているわ)と考えていたが言葉にはしなかった。

『Jin-Jin』の店内は少しずつ混み始めていた。奥のテーブルにはチリチリ頭の太った男が陣取り、曲に合わせて足でリズムを取りながらラーメンを食べていたが、貧乏ゆすりではないことを示したいのか膝の動きに微妙な強弱をつけるのに余念が無かった。その隣の席ではドレッドへアの二人組みが黒ビールを飲みながら仕事の打ち合わせをしている。カウンター席では黒皮のジャンパーを着てヤギのような白髭を生やした年配の痩せた男が、焼き鳥を摘みながらエスプレッソコーヒーを飲んでいた。焼き鳥とエスプレッソは妙な取り合わせだったが、ここでは誰もそんなことは気にしない。ヤギ髭男は仁丹ピアスのウェイターを呼び止め、かすれた高い声で「リクエストしたいの、いい?」と訊いた。

「曲目は?」と仁丹ピアスが白目になると、男は目尻に皺を寄せ、「ディープ・パープルのハイウェイスター、ジャパンライヴのね」と言った。

亜輝子はしばらく無言でパスタの残りを平らげていたが、最後のイカを口に放り込むと、笑窪を見せてニッと笑った。

「ねぇ、さっき、自画像を描くって言ったでしょう?じゃあさ、私を描いてくれない?」

「君を?今?」翔吾は驚いてパタパタと瞬きした(このリアクションは彼の癖らしい)。

「そうよ、スケッチブックにまだ白いページがあれば、だけど」

「白いページはあるけど・・・僕はずいぶん酔ってるから・・・手が上手く動かないと思う」

彼が躊躇すると、亜輝子は声のトーンを落とし、昼寝を邪魔されたムツゴロウみたいな顔になって言った。

「酔っ払ってようが死に掛けてようが、描くのよ」

「うーむ、困ったな」彼女に凄まれた翔吾は抵抗するのを諦めてスケッチブックを開いた。擦り切れた深緑色のジャケットのポケットを探り、先の尖った4Bの鉛筆を取り出して保護キャップを外し、テーブルに置く。

亜輝子は姿勢を正し、一番素敵な笑顔で微笑んだ。が、かなり酔っているので長続きしなかった。それに自分で言い出したこととはいえ、いざ描かれるとなると緊張もする。緊張すると余計に顔が動いてしまう。自動百面相だ。

「さっきから色んな顔してるけど、どの顔を描けばいいのかな?」と、真面目な表情で彼は訊ねた。

「ごめんなさーい。何か、止まらなくって」

「止めてくれないと、色んな顔を一緒に描くことになるよ。キュビスム時代のピカソみたいに」

「ピカソはイヤだわ。もっと、綺麗なのがいい。全体のイメージで描いてよ。そんなに似て無くてもいいから」

「じゃ、クリムト風のエゴン・シーレとギュスターヴ・モロー添えで」

そう言って、翔吾は手を動かしだした。指の感覚は尋常ではなかったが、思い通りにならない体を無理やり動かしてみるのも面白いものだ。デッサンの達人だったクリムトは、手が悪達者に動くのを嫌い左右の手を交互に使って描いたと言われている。(なるほどな)と彼は思った。白い紙に鉛筆の軌跡を残すという手慣れた動作が、奇妙なほど新鮮に感じられた。

『Jin-Jin』の店内にはヤギ髭男のリクエストしたハイウェイスターが流れていた。だが、ディープ・パープルのジャパンライヴが名盤だなどということを翔吾は知らない。(なんだか慌しい曲だな)と思いながら手を動かしていたが、リッチー・ブラックモアのギターソロに差し掛かった辺りから、彼の頭の中でそれはヴィヴァルディのソナタニ短調RV.63『La Follia(ラ・フォリア)』に変換され始めた。鬱蒼とした森の中を鳥や獣が駆け巡る目くるめくイメージを喚起する『La Follia』を聴くと、いつも「全ての芸術は音楽に憧れる」と言った誰かの言葉を思い出す。空を舞う鳥のような音楽に比べると、絵画は地上をのたうつイモムシのようにまどろっこしく思えた。

絵画は空を飛べない。絵画はチョッパーに跨ってハイウェイを走り回ることもしない。絵画はどこにも行かない。2次元の世界に貼りついたまま・・・

「出来た?」という亜輝子の声で我に返ると、ちょうどジョン・ロードのキーボードソロが終わったところだった。

「うん。あまり上出来とは言いがたいけれど」と言いながら翔吾はスケッチブックを彼女の方に向けた。

そこには、深い森の中で物思いに耽る女神のような亜輝子が描かれていた。彼女は目玉が落ちるのではないかと思うほど目を見開いて自分の肖像画を凝視していたが、ややあってから「おわぁーっ」と叫び声を上げた。

「凄い凄い凄いっ!これ、私?ねぇ、私って、こんなに綺麗かしら?」

「う・・・うん、まぁ」翔吾は俯いて小さく咳払いをした。「多少の脚色はあるけど、僕にとっては、だいたい、こんなイメージだよ」

「えーっ、嬉しいっ!凄いなぁ、あなた、酔っ払ってても、こんなに綺麗な絵が描けるのね?素敵だなぁ、いいなぁ」




《スケルツォ》

亜輝子はうっとりした表情で翔吾を見つめた。彼は恥ずかしくなり、どこか隠れるところは無いかと後ろを見て、いつの間にかそこに立っていたヤギ髭男と目が合った。ヤギ髭男は「ちょっと見せてくださる?」と高い声で言ってスケッチブックを手に取り、目を細め顔を上下に動かしながらじっくり絵を眺めた。ヤギ髭男が絵を見ていると、スキンヘッドと赤い髪のカップルも席を立って見学に加わった。

「いいわねぇ・・・鉛筆で描いただけなのに、彼女、神々しい光を放っているわ・・・絵に、愛があるわねぇ」と言いながらヤギ髭男は翔吾に向かってウィンクした。

「ああ・・・それは・・・ありがとうございます」翔吾は戸惑い、立ち上がって礼を言おうとしたが、実際は座席からわずかに体を持ち上げただけだった。どうやら立つことが出来ないぐらい酔っているらしい。

「あ、いいのよ、座ったままで。じゃ、アタシはここにこう立ってるから、そこからアタシを描いてくださる?」ヤギ髭男はそう言いながら黒皮のジャンパーを脱ぎ、斜め横を向いたポーズを取った。ジャンパーの下はラメ入りの真っ赤なタンクトップだった。痩せていたが歳の割りには引き締まった筋肉質の腕が剥き出しになり、肩に彫られた金魚の刺青が見えた。

翔吾は事の成り行きにしばらく呆然としていたが、気を取り直して新しいページを開き、鉛筆を握った。スキンヘッドと赤い髪のカップルは彼の背後に廻って手の動きを注視している。二人とも餌を待つ雛鳥みたいに唇を尖らせたまま、手の動きに合わせて頭を上下左右に動かしていた。その様子を見ていたチリチリ頭の太った男が(彼はラーメンを食べ終わった)、席を離れて彼等の横に加わり、一緒に首を振りながら絵を覗き始める。すると打ち合わせをしていたドレッドへアの二人組みと黄色い髪のカップルも「なんだ?何やってんだ?」と集まって来た。

翔吾は周りのことはとりあえず忘れて描くことに集中した。店内には誰がリクエストしたのかマイケル・ジャクソンのスリラーが流れ始めたが、彼の頭の中ではベートーヴェンの交響曲第9番第2楽章スケルツォが鳴り響いていた。それはヤギ髭男の金魚の刺青から連想した曲だった。なぜかはわからないけれど。

と、唐突に「はい」と言って彼は鉛筆をテーブルに置いた。そして今描いたばかりのページをスケッチブックから外し、「どうぞ」と言ってヤギ髭男に手渡した。ヤギ髭男は斜め横向きのポーズを急いで崩して絵を受け取り、たちまち相好を崩した。男はスタイリッシュなダンディとして描かれ、背景に炎と薔薇を背負っていた。

「いいわ、気に入ったわ。幾らお支払いすればいいの?」ヤギ髭男は満面の笑みで黒皮財布を取り出した。

「え?いや、僕はそんなつもりじゃ・・・」と、翔吾が言いかけた時、亜輝子が大きな声で「5万円です」と答えた。

「5万円?」ヤギ髭男はちょっと首を傾げて白い髭を撫でた。それから黒皮財布を開けて中の札を確認し、「良かった、あったわ」と言いながら1万円札を5枚引っ張り出す。何か言い掛けた翔吾の足を、亜輝子がテーブルの下で蹴った。

ヤギ髭男は呆然とする翔吾のジャケットのポケットに5万円を入れながら、彼の耳に口を近づけて小声でささやいた。

「じゃあね、ここにアナタのサインも入れてね、それから、今度はカラーでもっと大きいのを描いてちょうだい、アタシのヌードを」

翔吾は黙って頷くしかなかった。頭の中では相変わらずスケルツォが鳴り、ティンパニ奏者がにこやかに張り切っている(そのリズムは「おめでとう、おめでとう」と言っているように聴こえた)。

彼がヤギ髭男の肖像にサインしていると、今度はスキンヘッドの青年が自分の鼻の頭を指差しながら口を開いた。

「オ・オ・オ・オレ、ご・ごま・5万円持って、な・無いけど、か・か・か・描いて欲しい。に・に・2千5百円なら払える。に・2千5百円ぶんの顔で、い・い・い・いいから」

翔吾が彼の方を見ると、隣に寄り添う赤い髪の彼女が解説した。「彼はさ、去年バイクで走ってて道路に飛び出た野良猫を避けようとして事故って粗大ゴミ置き場に突っ込んでさ、それから言語障害が治らないんだ」

「そ・そ・そ・そうなんだ。と・と・と飛び出すな、バ・バイクは、きゅ・きゅ・急に、と・停まれない」

「お気の毒に」亜輝子は眉を寄せて同情を示し、それからヤギ髭男の顔を窺った。男は腕組みをして深く頷いた。

「オーケー、じゃ、2千5百円ぶんの顔でね」彼女はそう言って翔吾に目配せする。

(またかよ)と彼は思ったが何も言わずに鉛筆を握った。亜輝子の笑顔には何か抗い難い力がある。スキンヘッドの青年は店の床に正座し、どこか超越した眼差しで翔吾を真っ直ぐに見ていた。そうなってみると相手が俄かに僧侶に見えて来るから不思議だ。しかし背景に鐘楼を描くのも変だし、どうしたものかと考えていると、ふいにマンホールの蓋が脳裏に浮かんで来た。(マンホールの蓋?なんで?)と翔吾は首を傾げたが、彼の手はすでにマンホールの蓋を3枚描いていた。

出来上がった絵をスキンヘッドの青年に渡すと、青年と彼女は同時に「あっ」と声を上げた。

「オ・オ・オ・オ・オ・オレの後ろ、マ・マ・マ・マ・マ・マンホールのふ・ふ・ふ・ふ・ふ・蓋だっ!」

興奮すると症状がひどくなるらしい彼氏に代わって、彼女が説明する。「彼さ、マンホールの蓋のマニアなんだよね、NPO法人マンホールの蓋協会にも入ってる」そして訊いた。「どうして、あんた、それ知ってるのさ?」

翔吾にもそれはわからなかった。

「へぇー、これは面白いな、何とも言えないセンスを感じるな、俺も描いてもらおうかな」

スキンヘッド青年の横から見ていたチリチリ頭の太った男が、大きな顔をぬっと突き出して野太い声で言った。男はガマグチを取り出し、「うーんと、じゃあそうだな、せっかくだから奮発して2万円ぶんの俺で」と小さく折り畳んでサイコロみたいになった札を2個テーブルに置き、腕組みをしてポーズを決めた。「カッコ良く頼むぜっ、なっ」

「その次はボクね」「ボクの次はおいらもね」と言いながらドレッドへアの二人組みがチリチリ頭の後ろで手を上げた。黄色い髪のカップルもその後ろに並んだ。最後に仁丹ピアスのウェイターがさり気なく加わった。

だがそこへ、「ちょっとちょっとお客さん、困るじゃないですか私の店で勝手に商売始めてくれちゃあ・・・」と待ったを掛ける男が現れる。『Jin-Jin』オーナー片岡陣乃介、通称ジミー片岡だ。彼は30年来愛用しているダイヤモンド柄のチョッキのポケットからティッシュを取り出し、景気良く鼻を噛んでからこちらへ向かって歩いて来た(彼の目下の悩みは花粉症だった)。そして険しい顔で翔吾のスケッチブックを覗き込み、「ちょっと拝借」と取り上げて、長い指で長い時間を掛けて熱心にページを捲って行った。順番を待ってた客達は皆一様に押し黙って事の成り行きを見守っている。亜輝子は肩をすくめ、翔吾は・・・

「よし、こうしよう」と、スケッチブックをパタンと閉じてジミー片岡は言った。

「まず、私を描くこと、話はそれからにしましょ。出来栄えによってはここで似顔絵描きのアルバイトをしても構わない。君が仕事を探していることは雨月から聞いた。そうだな、雨月?」

「はい、聞きました」と、雨月と呼ばれた仁丹ピアスのウェイターが返事した。

「雨月は来週から所用で半分休みになるから、君が良ければ店を手伝ってくれてもいい。ウチはもぐりだから社会保険は完備じゃないけどね、時給ははずむよ。そのかわり・・・ねぇ、ちょっと、君、聞いてるの?」ジミー片岡は長身を折り曲げて翔吾の顔を覗き込んだ。

「あ・・・・・し・し・し・死んでるっ」と、スキンヘッド青年が裏返った声を出した。

「えーっ!」と、皆が驚きの声を上げた後、一瞬の間を置いて、翔吾の静かな寝息が聞こえて来た。酔った彼は臨界点に達していたのだった。




《二日酔いのワニ》

翌日、当然の帰結のように二日酔いとなった翔吾は、枕に顔を埋めて昼過ぎまで唸っていた。

彼の頭の中ではワニとコモドオオトカゲが腕相撲していた。どちらも鋭い目付きで相手を睨んだまま、一歩も譲らぬ熱戦を展開している。口の端からずらりと覗く尖った歯が獰猛で凶暴で問答無用な横顔に拍車を掛けていた。その周りではティンパニ奏者がスキップしながら「おめでとう、おめでとう」と楽器を叩きまくる。だが余りにも景気良く叩いたせいで遂にティンパニの皮が破れて爆発し、中からニッコリ笑った亜輝子が真っ白い鳩の群れを従えて女神のように登場した。彼女は一糸纏わぬ裸身だった。

ハッとして彼は目を覚まし、ギョッとして身を起こした。彼が寝ていたのは彼のアパートではなかった。見たことも無い部屋の、見たことの無いベッドだった。慌てて毛布を跳ね除けベッドを出ようとした彼は、「ゲッ」とも「ギャッ」ともつかない声を上げた。自分が素っ裸だったからだ。

(これはヤバイ・・・)

本能的に状況を察知した彼の頭の中で、ワニとコモドオオトカゲが腕相撲を中断して口々にこう言った。「おいっ、さっさと逃げろっ、一目散にトンズラするんだっ」「いいや、彼女に会って謝った方がいいぞ、後々のためにもな」「馬鹿言えっ!責任取らされたらどうするんだっ、どっかのエライ先生が言ってたぞっ、実現したい夢があるならオンナとはつきあうなって」「なに言ってやがる、色気もクソも無くて何のための人生だ」「クソとは何だ?オンナとクソを一緒にする気か?」「じゃかましいわいっ、このバナナワニ野郎っ!」「何だとコモド島のジェフ・ベックめっ!」

(ああ、うるさい、頼むから少し黙っててくれ)

翔吾はゆっくり首を振り、気を落ち着けて部屋を見回した。ベッドサイドには低いテーブルがあり、そこに彼のシャツとジーンズと靴下とトランクスが畳まれていた。どうやら洗濯後、乾燥機に入れ、アイロンを掛けてくれたらしい。ジャケットはハンガーに掛かっていて、ポケットには60,560円が入っていた。彼はそれらを身に付け、壁際のデスクの上に自分のスケッチブックを見つけると、ページを開いて子猫の絵と亜輝子の肖像画をリングから外した。2枚の絵をデスクに並べ、ジャケットのポケットから4Bの鉛筆を取り出して、日付とサインを入れる。そして、3秒ほど考えてから、肖像画のサインに「with Love」と書き添えた。

「何がwith Loveだっ、キザな奴めっ、日本男子なら日本語を使えっ」と頭の中でワニが言った。

「うるさいなぁ、何だっていいだろっ!」翔吾が顔を赤くして怒鳴ったのと、玄関ドアが開いたのがほぼ同時だった。気配に振り向くと、買い物袋を抱えた亜輝子がそこに立っていた。

「ほら見ろ、逃げ遅れたぜ」とワニが言う。「覚悟を決めるんだな」とコモドオオトカゲも言った。




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